こんにちは。
3回記事にして「マイカテゴリー」のお名前が間違っていることに気が付きました。
正しくは「櫂」で「槢」は誤りでした。
「櫂」は「かい」と読み、船を漕ぐ「かい」の字です。
「槢」は「しゅう」とよみ訓読みでは「くさび」とも読みます。
それで名前は長谷川櫂(はせがわかい)となります。
失礼しました。
折角なので、本日は長谷川櫂氏についての記事になります
このブログを始める前に一応ウィキペディアで調べていたのですが、「カテゴリー」の名前で検索してもウィキペディアでは出てこない、わたしと同じように間違って記事を書いていた、という方がいてそこで初めて気がつきました。
さて長谷川櫂氏ですが、元読売新聞文化部記者で現在は「東海大学文学部文芸創作学科特任教授」となっていました。
読売新聞の2面に毎日小さな詩歌コラム「四季」を連載していますが、少し前に清少納言の歌「ありがたきもの 舅に褒めらるる婿」を読んで、現代でも通用する清少納言の言葉が面白い、と思って注目するようになりました。
ご本人の代表的な句には、「春の水とは濡れてゐるみづのこと」「春の月大輪にして一重なる」「冬深し柱の中の濤の音」などがあります。
ウィキペディアによると、俳句の古典性、伝統性の回復を目指す作風で、同じ意識から「俳句的生活」をキーワードに入門書なども手掛けているようです。
一方、2011年の東日本大震災直後から12日間読み続けた短歌集、「震災歌集」「震災句集」には、長谷川の俳人としての立ち位置に批判が寄せられたとありました。
「感情移入をさまたげない最大公約数的なニュースイメージ」であり、また歌に詠みこまれている権力批判の視点が「朝日新聞的」だというわけです。
また、「非情さ」の性質を論じつつ、そこに戦後派の俳人が持っていたような「他者の生死を自らのものとして引き受けるという姿勢」がいささかも見られない、という指摘もあります。
Wikipedia:
長谷川櫂
確かに取り上げる歌も時々変わった視点だな、と思うところはありました。
例えば、17歳の高校生の歌。
美しく卑しく人を待つ日傘
作者:筏井悠(いかだいはるか)
日傘の女性が誰かを待っている。美しいと見るのは尋常だが、卑しいと感じるのは確かに変わっている。しかしそこにある鋭敏な精神が宿っているかもしれない。それをどう育てるかは、作者の力。
東京都の高1。「17歳の青春」から。
読売新聞 7月6日
感性の世界なので、いろんな感じ方があっていいとわたしなりに思っています。
東日本大震災という極限の状態にあった日本、その感受性は俳人というより記者的視点だったのかもしれません。
長谷川氏が歌った「よきことば生まれよと秋立ちにけり」。
素敵な言葉だと思います。
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